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国立新美術館
国立新美術館
〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2


Niki de Saint Phalle

 ニキ・ド・サンファル (1930-2002) は、戦後を代表する美術家の一人です。 フランスに生を受けたニキは、神話や旅先で目にしたものからインスピレーションを受け、少女時代を過ごしたアメリカや母国フランスの前衛芸術を吸収することによって独自のスタイルを作り上げていきました。 そして、1961年に発表した「射撃絵画」で一躍その名が知られることになります。 絵具を入れた缶や袋を埋め込んだ石膏レリーフなどに向けて銃を放つことで完成する射撃絵画は、絵画と彫刻の両方の要素を兼ね備え、また制作行為そのものがパフォーマンス・アートの先駆例として美術史上高く評価されています。 その後、女性の象徴への関心を強めたニキは、「ナナ」 シリーズにおいて鮮やかな色彩と伸びやかな形態を用いて開放的な女性像を示し、今日まで多くの人々を魅了しています。 このほかにもニキは舞台や映画の制作を手がけ、また、「タロット・ガーデン」 と称する彫刻庭園に代表されように建築デザインにも積極的に取り組み、美術家として様々な活動を展開しました。
 そして1980年代初頭から、那須高原に建てられたニキ美術館 (1994年から2011年まで開館) 創立者の故Yoko増田静江氏と20年以上にわたって交流しました。 ニキの作品を収集し、その多様な芸術活動の紹介に努めたYoko増田静江氏の尽力により、ニキの作品は日本で再評価されることになりました。


会期: 2015 9/18 [金]〜12/14 [月] 展覧会は終了しました。
休館日: 毎週火曜日 (ただし、11月3日は開館)、11月4日(水)
開館時間: 午前10時 ― 午後6時 (毎週金曜日は午後8時まで)
※入館は閉館の30分前まで

会場:
国立新美術館 企画展示室1E (東京・六本木)
主催:国立新美術館、フランス国立美術館連合グラン・パレ(Rmn-GP)、ニキ芸術財団、NHK、NHKプロモーション

'2015 9_17 開会式 & プレス内覧会の会場内の風景撮影と 「ニキ・ド・サンファル展」 カタログ、資料等からの抜粋文章です。
画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

「ニキ・ド・サンファル展」
「ニキ・ド・サンファル展」
開会式 & プレス内覧会 '2015 9_17
   国立新美術館 企画展示室1E


ニキの 「射撃絵画」 は、パフォーマンス・アートの先駆例として美術史上高く評価されています。

【展覧会の構成】 ― 「ニキ・ド・サンファル展」カタログ、PRESS RELEASE、他よりの抜粋文章です ―
 ニキの生誕85年目に開催される本展は、日本初公開となる貴重な作品を含めた、国内史上最大規模の大回顧展となります。 2014年秋にパリのグラン・パレ(Rmn-GP)で開かれた回顧展の要素を取り入れつつ、初期作品から晩年の大作まで、射撃絵画や彫刻のほかドローイングや版画など約150点の作品により、ニキ・ド・サンファルの豊かな作品世界の全貌に迫ります。 さらに、故Yoko増田静江氏を通じてニキが日本と特別な関係を作り上げていったことにも目を向け、その重要性にも光を当てます。
ニキ・ド・サンファル展」の展覧会構成
1. アンファン・テリブル―反抗するアーティスト
2. 女たちという問題
3. あるカップル
4. ニキとヨーコ―日本との出会い
5. 精神世界へ
6. タロット・ガーデン

画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。
'2015 9_17 プレス内覧会の会場内風景の撮影画像と 「ニキ・ド・サンファル展」カタログ、「PRESS RELEASE」などからの各章の抜粋文章です。

第1章 アンファン・テリブル―反抗するアーティスト
1. アンファン・テリブル―反抗するアーティスト
 1960年の末、ニキは家族と別れた後、スイス人彫刻家のジャン・ティンゲリーと暮らすようになる。 そして翌年2月にティンゲリーとアトリエを共有していたパリのロンサン袋小路で最初の 「射撃絵画」 の制作を発表した。 射撃絵画とは、絵具を入れた缶や袋をオブジェとともに支持体に固定しその上から石膏を塗り、出来上がったレリーフに対して銃を放つことで作り上げられるもので、絵画と彫刻の両方の要素を兼ね備えていた。
 ニキは約2年半の間、ヨーロッパやアメリカで射撃絵画のセッションを行い、それは公開パフォーマンスの形をとり、レリーフに向かって銃を撃つニキの姿は、テレビで放映されて多くの人々に強烈な印象を残した。
・左)010 ニキ・ド・サンファル 《長い射撃― 2回目の射撃セッション》 1961年2月26日 塗料、石膏/合板 140 x 30cm
ニース近現代美術館/© 2015 NCAF, All rights reserved.
・右)011 ニキ・ド・サンファル 《スウェーデンのテレビ番組のための射撃― スウェーデンのテレビ番組におけるセッション》 
1961年5月14日 塗料、石膏、金網/板 195 x 159 x 10cm Yoko増田静江コレクション/© 2015 NCAF, All rights reserved.
右)011 本作は、タイトルが示すように、スウェーデンのテレビ放送の際に制作されたものである。 ニキは、絵画面に絵具を入れた缶や袋、そして初期段階においては卵などの食品を含めたオブジェを貼り付け、石膏でそれらを覆い、出来上がったレリーフ状の作品に向けて銃を撃った。 銃弾を受けたタブローからは、流血のごとく絵具が流れ出た。
絵画と彫刻の境界を越え、また、パフォーマンス・アートの先駆例でもある射撃絵画は、様々な固定概念に異を唱え境界を乗り越えようとする意思表明でもあり、その制作に使われた22口径ライフルの発砲音は、世界各地の戦地で鳴り響く銃声と呼応し、美術家ニキの政治性を決定づけたのである。


ニキ・ド・サンファル《頭にテレビをのせたカップル》
3. あるカップル
  1950年代の後半にティンゲリーと出会ったニキは、1960年に彼とともにモンパルナスのロンサン袋小路に居を構えた。 以降、彼らの人生と芸術家としてのキャリアは深く関連しあうことになる。 まず、ヌーヴォー・レアリスムの芸術家グループに二人で加わった。 次いで、パブリック・アートのプロジェクトを共に手がけるというコンセプトに取り組み、1970年代にエルサレムやベルギーで子どものための遊び場を共同制作したのち、80年代にはフランスで 「ストラヴィンスキーの噴水」(パリ、ポンピドゥ・センター脇の広場に設置)、「ル・シクロップ」(パリ近郊の森に設置)、「シャトー=シノンの噴水」(ブルゴーニュ地方の市役所の広場に設置) を完成させている。 カップルというテーマは、ニキの芸術のなかに絶えず姿を現している。
・064 ニキ・ド・サンファル 《頭にテレビをのせたカップル》 1978年
ビニール塗料、色鉛筆、オイルパステル、金泥、ポリエステル 222 X 161 X 130cm
Yoko 増田静江コレクション/© 2015 NCAF, All rights reserved.
 1960年代の後半から、ニキは男女の関係をテーマにした作品を数多く手がけるようになる。 1967年には父アンドレの死を経験し、1968年にはティンゲリーに新たな恋人ができたことや自らも複数の男性と恋に落ちたことは、ニキが男女の関係を見つめ直す大きなきっかけとなったようだ。 男女が背中合わせに組み合わさった本作では、二人の人間の間のコミュニケーションの複雑さがユーモア溢れる形で表現されている。 さらにニキは現代人のコミュニケーションとテレビとの関係という社会的な視点をも盛り込んでいる。


ニキ・ド・サンファル《ブッダ》
5. 精神世界へ
  ニキは、高次の存在、人間の運命を決定する超越的な存在があることを信じていた。 彼女は特定されない神を信じていたのである。 ニキは生涯を通じて絶えず精神世界を探求し続けており、それは彼女が制作した様々な神々の彫刻になかに表現されている。 古代エジプトとメソポタミア、そしてインドの神々に魅了されたニキは、ヒンドゥー教の叡智と知性の神であるガネーシャのかたちをしたランプを何点も制作した。 2000年代にはメキシコの伝統への崇敬から、鏡やガラス、陶片などで覆われた髑髏のシリーズを手がけている。
・114 ニキ・ド・サンファル 《ブッダ》 1999年 天然石、色ガラス、セラミックス、FRP、鋼 317.5 x 218.4 x 172.7cm
Yoko 増田静江コレクション/© 2015 NCAF, All rights reserved.
 1998年10月、ニキはヨーコの招きによって初めて日本を訪れ、ヨーコやその家族とともに京都の寺院で目にした仏像は新たな創作の源となった。 京都旅行の翌年、ニキはサンディエゴのアトリエで本作の制作に取り掛かった。 高さ 3メートルを超える大型のブッダ像には、青、黄色、緑、紫、赤、金、銀と鮮やかな色彩のガラスやセラミックにとって覆われた 《ブッダ》 は、光を浴びることによって目にもまぶしい輝きを放つ。

時代を見つめたアーティスト、ニキ
カミーユ・モリノ―
監修 カミーユ・モリノ― (フランス文化財保存監督官)
開会式 & プレス内覧会風景/Yoko 増田静江コレクション/© 2015 NCAF, All rights reserved.
ニキ・ド・サンファル ―二つの顔を持つアーティスト
カミーユ・モリノ― (フランス文化財保存監督官/エヴァ・アート・ディレクター)
【「ニキ・ド・サンファル展」 カタログより抜粋文章です。】
 アンディ・ウォーホルをはじめとする何人かの作家とともに、ニキ・ド・サンファルは、誰もがその姓を――「ニキ」 は姓ではなく名前であるが――知る、いわば 「大衆に人気のある」 芸術家の一人である。 しかし、その名と、それに結びつけられる最も有名な作品、すなわち色鮮やかで楽しげな 「ナナ」 たちを超えて、彼女の全作品を貫く野心――偉大な芸術家を特徴づける――慣性、複雑さ、そして勇気の混交――に美術史家たちの関心が寄せられることはほとんどなかった。 それゆえに、私は、この比類ない芸術家の真剣さと野心が、美術史家はもとより、最も広く一般の人々からも再認識されるように促したく、パリのグラン・パレを皮切りに、スペインのビルバオ・グッゲンハイム美術館に巡回したニキ・ド・サンファルの大回顧展を、ニキ芸術財団の協力のもとに企画したのである。

 この芸術家の再発見を誘う企てがパリで成功したことを受けて、彼女がきわめて特別な物語を分かち続けた国である日本にも、同様の機会をもたらすことができることを光栄に思う。 日本人のコレクターである故Yoko増田静江氏とニキが1980年代以来長きにわたって結んだ友情、日本の大衆文化や精神性に対するニキの情熱、日本を巡るニキの旅、そして、長いことニキに捧げられた世界で唯一の美術館の存在 【ニキ美術館(1994年から2011年まで開館)】 のこと。 に鑑みるなら、東京でのニキの回顧展の開催はいっそう理に適うものである。
  名高い 「ナナ」 の作品群は、ただ装飾的であるわけでは全くなく、そのモダニズムによって今なお私たちを驚愕させうる女性たちである。 豊満で、たくましく奇抜な服装で、ときに体毛まで表現された彼女たちの身体…、それらは当時の女性誌によって強いられた、ぱりっとめかしこんだ華奢な身体とは対極をなしている。 彼女たちは大きく、スポーティーで、曲芸師のように軽やかで、強く印象に残り、楽しげである。 それはニキが夢見た女性のイメージなのだ。… (訳:宮島綾子)

お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
展覧会サイト:http://www.niki2015.jp/
国立新美術館サイト:http://www.nact.jp/
主催:国立新美術館、フランス国立美術館連合グラン・パレ(Rmn-GP)、ニキ芸術財団、NHK、NHKプロモーション

協賛:日本写真印刷
特別協力:Yoko増田静江コレクション

参考資料:「ニキ・ド・サンファル展」カタログ、PRESS RELEASE & 報道資料 、他。
※写真撮影の掲載等は、主催者の許可を得て行っております。
※画像の無断転載禁止


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